創業した時、娘達は幼かった

創業は1997年、子供たちはまだまだ子供でした。

私も妻も三十代前半の若者で写真の長女は小学生、次女に至っては幼稚園でした。

この家族が脱サラから運送業が軌道に乗るまでの大変な時期を一緒に過ごしました。

あれから、あっという間に27年(2024/01/15時点)。

松島観光

写真はガラッと進んで子供達も大人になりました。、

娘たちと松島観光


この写真は、地元宮城県の日本三景の松島です。仙台に住むと近すぎて松島観光などしないのですが、次女は埼玉に住んでいる為、久しぶりの仙台帰省で松島観光したくなったようです。

娘2人とも既に幸せに結婚してますから、こんな風に4人家族だけで揃うなんて滅多に無い貴重な懐かしい4人となる機会でした。

後日談ですが、次女は我が家を巣立ってから、車や船などの乗り物にめっきり弱くなっていたとの事。

私は間抜けにも、松島観光の遊覧船を奮発して喜ばせたつもりでしたが、娘はそんな私に気を遣って言わずに酔い止めで耐えてくれていたようです。

皆様も、離れて暮らす家族との久しぶりの観光では、船酔いの有無は気をつけましょう。

那須高原SAにて

那須高原SAのトイレの人型マークに同化して見ました。このアイディアはシャッターを切ってくれた長女です。

トイレのマークに同化して見た
トイレのマークに同化して見た

妻と長女のツーショット

長女は嫁いでから普段はあまり会う事はありません。でも、それは幸せな証拠だと思ってます。頻繁に実家に来てる暇が無いほどに自分の新しい家族環境で充実した人生なのでしょう。

でも、この日は、東京で声優、女優をやっている次女の舞台観劇に久しぶりに親子三人そろって東京までのドライブでした。東京都内の繁華街にある劇場でしたが、この仕事のお陰で都心部も難なく走れますしコインパーキングも良いところを既に知っていたので気軽なドライブです。

那須高原サービスエリアで買い物をして、羽生パーキングエリアの鬼平江戸処では長女が好きなうなぎを堪能しながら東京へ向かいました。

那須高原SAにて妻と長女
那須高原SAにて妻と長女
羽生PA鬼平江戸処うなぎ忠八
羽生PA鬼平江戸処うなぎ忠八

久しぶりの姉妹再会

左が次女の絵理香で、現在、女優&声優として東京でフリーで活躍中。
みなさま是非応援してくださいね。無事公演終了してホッとした所です。

絵理香の関連リンクはこちらです。

今回の公演では、少し前に軽い交通事故にあって全身に怪我を負ったまま参加したので、痛みとの戦いもあったらしく達成感も普段以上だったそうです。

右の茶色のダウンの長女は、久しぶりの妹との再会で涙もろくなってしまったようですが、それでも頑張って笑顔で撮れた1枚です。

美人姉妹の再会
姉妹の再会

次女の絵理香は声優人気商売でもあり当社HPにもイメージガールとして

絵理香 Still Wood Garden
  • 学生時代はバドミントン部でした。
  • 水泳も得意なので仙台市内のスイミングスクールでは先生のバイトもしてました。
  • 小学校時代には極真空手(大道塾)で二年間くらい空手を習いました。
  • そして、芸能に入る前の社会人経験としては、仙台の有名な菓匠三全の社員として働かせていただきましたので、社会人として礼儀作法もバッチリ。

こんな色々なスキルのある女優、声優が必要と思った業界の皆様、是非、桃井絵理香へお声がけください。

私を描いてくれたイラスト

姪っ子が書いてくれた私のイラストです。

素敵な日光金谷ホテルで披露宴をした姪っ子が座席に置いてくれてたメッセージカードでプロ並みですね。

ももちゃん便のキャラクターは赤帽君から「ももん」になりました

今でこそ、私もこの絵のように楽しく生きてますが、開業から15年間くらいは、歯を食いしばって、額にしわ寄せて、売り上げを増やすことだけに力んで家族に沢山の迷惑をかけて来たなあと思ってます。

これから先は、このイラストのように笑って過ごす時間を増やしたいと思ってます。

ありがとうございます

私の家族紹介を最後までご覧いただいてありがとうございます。
これら家族の協力があって、脱サラして今に至るまでやってこれました。