子供の頃から運転大好き

小学生の頃は自転車で走り回る毎日でした。

中学、高校生の頃は、少し遠い学校だったので、自転車通学が許可されていたので、ブリヂストンのロードマンで朝夕の通学が楽しい時間でした。雨の日も雪の日も強風の日も自転車でした。当時の家は高台にあり、帰り道は必ず上り坂ですが、坂を登ることすらも楽しみでした。休日はお気に入りのロードマンで遠出していました。普通ならバイクや車で行きそうな遠くまで自転車で行くことに違和感もなく過ごしてましたが、友達からそんな遠くまで行くのか?と驚かれて自分の感覚が変わっていたのか?と気付きました。

大学生になるとバイクと車の運転が趣味になる

バイク XL-125S
バイク XL-125S

大学生になると、中型自動二輪と普通自動車免許を取得していたので、バイク(スズキGSX400E、ホンダCB250RSZ、ホンダXL125R,XL125S)や父親から借りて乗る(日産スタンザマキシマGTE)で遠くまツーリングやドライブを楽しみました。特に車は父の物を借りる代わりに家族全員の送迎を朝から晩までやってました。運転自体が好きだったので朝から晩まで何回も呼ばれても苦にならず、思えば365日、24時間受付する今の商売の元になる経験でした。

そういえば、大学時代のエピソードですが、親友たちとツーリングやドライブの打ち合わせの時だったと思いますが、出来るだけ遠くへ行きたい、「例えば九州」と提案した私に、全員猛反対。

その日に付けられたあだ名は、「例えば九州」でした。

在学中、仙台から九州地方までドライブやツーリングは実現しませんでした。

始まりは赤帽だった

この写真は赤帽時代にテレビ密着取材の時の一コマ。当時としては珍しくインターネットフル活用の赤帽として。

赤帽時代にテレビ取材中に撮影された写真
赤帽時代にテレビ取材中に撮影された写真

軽運送は夢のような仕事

大学時代は、仲間に笑われ九州までのドライブは実現せずでしたが、軽運送の仕事を始めてからは、福岡市まで急ぎのチャーターを走った事もあり、学生時代に叶わなかった夢である「例えば九州」が仕事として叶うようになってました。

ドライブ好きな私には最高の天職が軽運送です。

やり甲斐ある仕事

軽運送の特にチャーター便は、スポット配送なので商売として売上は不安定で、心まで不安になる事も多いです。

それでも1997年の創業から今日2024/09/16まで続けて来れたのは、第一にご依頼くださる企業のお客様のお陰です。

もう一つ、不安定な売上となるスポット配送を継続するモチベーションは、とてもやり甲斐を感じるお仕事だからです。

スポット配送は、色々なご依頼がある中で、代表的なのは「とにかく急ぎたい荷物」への対応です。

何らかのご事情で大至急届なくてはならない。しかし、宅配便では間に合わない。そんな場面なので、荷物を出す荷主様も、遠くの受け取り側のお客様も当社の敏速な集荷とお届けに大変お喜び頂けます。そして、その手応えをダイレクトに感じられるのがチャーター便のお仕事です。

以上、そもそも何故?について書いてみました。