私は若い頃までは安定した職業を好みました。

安定と言えば勿論、大企業や公務員として働く事を目指して学生時代をその目的に向けて過ごしておりました。職種としては趣味が無線通信だったので技術系(特に弱電)が合うと考えて進路を選んでおりました。

高校も理科系クラスを選び大学は電気工学科、概ね計画通り運送屋になる直前は、東京の沖電気工業株式会社でソフトウエア技術者として安定した会社の技術系として働いておりました。

大きな変化

人生設計通りだった安定した大企業の沖電気工業の技術員の立場を捨てて、不安定な職業の頂点に君臨するであろう個人事業主への転身。

更には業務内容もエンジニアとしての頭脳労働から真逆の肉体労働へ。

知人からはホワイトカラーからブルーカラーになるのか、気の毒にと言われた事もありました。

それまで一流企業にお勤めで良いですね。とか言われて生きてきたのですが、一転して個人事業主の赤帽では気の毒だと言われ(笑)。

自分の信用力ではなく沖電気の信用に過ぎなかった

沖電気時代は住宅ローンでも自動車ローンでも申し分ない条件です。と担当者から言われつつ、簡単にローンを組めていたのですが、退社した途端、自分の信用度が失墜。

赤帽として必要な商売道具の軽トラを購入する自動車ローンにすらも保証人が必要となったことに愕然としました。保証人には父親に頭を下げる事になりましたので、30代家族持ちとしては、情けないことこの上無しでした。

あらゆる点から全く畑違いの軽運送業界に飛び込みました。

勿論、開業して20年以上経過した現在では、自動車ローンに保証人など不要ですし、そもそも金利を払ってローン購入する必要もなくなりましたのはお蔭様です。

そんな無謀すぎる転職を賛成してくれた家族を紹介させて頂きます。

その創業は1997年。あれから、あっという間に二十年を軽く超えてました。その間、この家族が私を支え助けてくれました。

開業時には幼かった娘たち

この4人が私の家族ですが、脱サラから運送業が軌道に乗るまでの大変な時期を、4人で一緒に過ごしました。

1997の赤帽ももちゃん便の開業当時は、私も妻も三十代の働き盛りでした。

その頃、娘たちは幼く長女でもまだ小学生、次女は幼稚園でした。

小さかった子供達、母親が1番必要だった時期です。

子供達にも本当に苦労をかけた転職だったと今なら思いますが、当時の私は無謀な畑違いな転職のブランクを埋めて、一日も早く安定した事業規模に事業拡大する事だけを考えていた時期でした。

せっかく仕事人間だったサラリーマン辞めたのにも関わらず、まだサラリーマンの24時間闘うクセが抜けずにいた根っからの仕事人間で、家族への負担には配慮に欠ける父親でした。

そんな未熟な父親の娘とは思えない素晴らしい2人の娘です。

まず長女の自慢ですが、他人を外見や弱さで差別せず、誰にも優しく、その上、我が娘とは思えないほど外見も美しい子です。

次に次女自慢ですが、幼稚園に入る前から頭が良く、当時まだサラリーマンだった私が、幼い次女は、どうせ言葉も理解してないと思いつつ、こぼした職場の悩みに、驚くほど的確なアドバイスをくれたりしてました。

昔から成人した今でも聡明な子です。

そして妻の自慢ですが、勉強は嫌いだったらしい妻ですが、本当は頭が良く、仕事現場でも大人数の全体を把握して的確な指示を出す取りまとめ能力にも長けてます。

技術バカで人が多い仕事での全体把握する能力の弱い私をサポートしてくれます。

さらに主婦としても美味しい料理を作ったり家庭的な面でも最高レベルな私には出来すぎた妻です。

家族写真
この家族で良かった

松島観光

この写真は、地元宮城の代表的な観光スポットで日本三景松島です。

左から東京で女優、声優として頑張っている次女の絵理香。

後ろは、当社の配車と経理をしながら家事も達人の妻。

真ん中は、嫁ぎ先の東松島市から駆けつけた長女です。

娘達は2人とも巣立ってますので、こんな風に4人昔の家族で揃うなんて滅多に無いので貴重な時間でした。

娘たちと松島観光
仙台に来た次女(写真左:東京で声優、女優してます)と家族四人で松島観光

配車担当の妻と私

那須高原SAのトイレの人型に同化して見ました。このアイディアはシャッターを切ってくれた長女です。

トイレのマークに同化して見た
トイレのマークに同化して見た

妻のお陰です

安定した上場企業のサラリーマンを辞めてしまったので、妻には言葉で言い尽くせない苦労を長い年月かけたけれど、そんな私を仕事も家庭も支えてくれた妻です。

今でも仕事と私生活の両面で世話になっていますので、妻には全く頭が上がりません。

昔の日本では妻は夫の後を歩くとか言ってた時代もあるそうですが、私は妻の後ろを歩いてちょうどいい位です。その位、優秀な妻だと思ってます。

脱サラして良かった

脱サラ前サラリーマン時代の私は、「俺が稼いで来ているんだ」と言う気持ちが強かったと思います。

一部上場企業のエンジニアとして、頭が良いと思い込みもありました。

あの当時の私は、あれでも家族の幸せの為にと真剣に頑張ってました。

しかし、いつの間にか本末転倒して仕事最優先で、偉そうな嫌な夫だったろうと思います。

そんな私なのに、家族は良く耐えてくれたと思います。

しかも、そんな私には唯一の長所だったかも知れない、安定した大企業の職場を捨てました。

そして、転職するにせよ、事もあろうに不安定極まりない個人事業の軽貨物屋さんになると言った時にも、家族は反対しないで応援してくれました。

そして赤帽業務スタートするも、当初はまだまだ技術バカであり、運送屋さんとしては全然使い物にならなかった私をカバーしてくれた妻。

この妻がいなければ、現在の株式会社ももちゃん便なんて無かったのです。心より感謝してます。

両親健在にも感謝

そして私の両親は未だ元気です。
書いている今日も両親は夫婦二人でバスで外出して仙台市中心部に行ってます。

普段も近所のドコモショップ主催のスマホ教室に行ったりと人生謳歌しております。

両親が今もこうして健康でいてくれるおかげで、私は妻と二人で安心して長距離チャーター業務に邁進できます。

親が健康である幸運にも感謝ですし、赤帽を開業した当初の赤字状態を支えてくれた両親でもあります。

長女も既に母

赤帽開業当時、長女はまだ小学生でしたが、今では小学生の母となってます。

赤帽開業してから現在では一世代回ったんですね。

世代交代の速さ感じる今日この頃で、そして、今の仕事が1世代交代する長きに渡って継続している事に感謝します。

妻と長女のツーショット

長女は東松島市へ嫁いで、既に小学生の母になっておりますので、普段はあまり会う事はありません。

でも、この日は、東京で声優、女優をやっている次女の舞台観劇に久しぶりに親子三人そろってで東京までのドライブでした。

那須高原サービスエリアで買い物をして、羽生パーキングエリアの鬼平江戸処では長女が好きなうなぎを堪能しながら東京へ向かいました。

那須高原SAにて妻と長女
那須高原SAにて妻と長女
羽生PA鬼平江戸処うなぎ忠八
羽生PA鬼平江戸処うなぎ忠八

久しぶりの姉妹再会

左が次女の絵理香で、現在、女優&声優として東京でフリーで活躍中。
みなさま是非応援してくださいね。絵理香の関連リンクはこちらです。

左の絵理香は無事公演終了してホッとした所ですが、今回の公演では、少し前の交通事故で全身に怪我を負ったまま参加したので、痛みとの戦いもあったので達成感も普段以上だったと思います。

右の長女は、久しぶりの妹との再会で涙もろくなってしまったようですが頑張って笑顔で写真撮れた1枚です。

美人姉妹の再会
姉妹の再会

次女の絵理香は女優、声優と言う人気商売でもありますので当社HPにも登場してます。

学生時代はバドミントン部でした。

水泳も得意なので仙台市内のスイミングスクールでは先生のバイトもしてました。

小学校時代には極真空手(大道塾)で二年間くらい空手を習いました。

そして、芸能に入る前の普通の社会人経験としては、仙台の有名な菓匠三全の社員として働かせていただきましたので、社会人として礼儀作法もバッチリ。

こんな色々なスキルのある女優が必要だと思ったら是非、桃井絵理香へお声がけください。

桃井絵理香
桃井絵理香

猫も元気

我が家の飼い猫も今は高齢ですが、開業当時は赤ちゃん猫の捨て猫でした。
この猫も今でも健康です。
私が早朝5時に起床すると、「にゃー」と朝ごはんをねだってきます。とても臆病で人見知りな猫なので、私が東京からUターンして来た頃から何年間も近寄って来ませんでした。

家族それぞれ健康で過ごせているだけでも、どれほど幸せな事かとこの年齢になると思うようになりました。

臆病な猫です

この猫はアケと言う臆病な女子です。
赤ん坊の頃に近所に捨てられていたのを絵理香が学校帰りに発見して連れてきました。
でも当時の我が家は犬、猫2匹、プレーリードッグ2匹、フェレット、亀、その他の動物多数で、とても受けきれなかったのでネットで里親募集して、引き取られて行きましたが、その里親先で数ヶ月育てて頂いたのですが、出戻りさせされてしまいました。
大人の猫になってしまった後の捨て猫では、誰も里親になってくれないので我が家で引き取り正式に家族となった猫です。
当時はたくさんいた生き物たちも加齢と共に減って、今では、このニャンコさんだけになりました。

牝猫
我が家のアケ

ありがとうございます

私の家族紹介をご覧いただいてありがとうございます。これら家族の協力があって、脱サラして今に至るまで当社がやってこれました。

そして当社にチャーター便の発注をくださる企業の皆様のおかげで社会に貢献させていただいております。

このチャーター便の発生する場面は、その多くが製造や物流のトラブル時、あるいは、機械故障による修理部品急送など、お客様企業には不運な場面だったりします。

でも、当社は、その不運な場面に敏速で的確な緊急配送を行う事で、お客様の不運のダメージを最小限に止めるお手伝いになれたらと思っております。

そして生意気かもしれませんが、お客様企業にとっても、長い目で見て、当社チャーターを使う事で利益に繋がれたらと思います。

例えば、そのチャーター便が病院の医療機械メーカー様の故障部品の急送であれば、その機械故障は大変不運な出来事で、企業イメージにマイナスな出来事だとは思いますが、当社のチャーター便で敏速に故障部品が届いて、メーカー様の病院での信用回復に当社が貢献できればと思います。

とても敏速に故障回復が出来たならば、メーカー様の病院での信用確保になり、今後の売り上げにも貢献できると考えて一生懸命に緊急輸送をさせて頂いております。

私を描いてくれたイラスト

姪っ子が書いてくれた私のイラストです。最近、日光金谷ホテルで披露宴をした姪っ子が座席に置いてくれてたメッセージカードです。まるでプロ並みですね。

ももちゃん便のキャラクターは赤帽君から「ももん」になりました

今でこそ、この絵のように楽しく生きてますが、開業から15年間くらいは、歯を食いしばって、額にしわ寄せて、売り上げを増やすことだけに力んで家族に沢山の迷惑をかけて来たなあと思ってます。これから先は、このイラストのように笑って過ごす時間を増やしたいと思ってます。

仙台市泉区ももちゃん便090-4312-7844配送受付 6:00〜17:00 [緊急24H]

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