脱サラ希望の人から良く聞かれる事
赤帽ってどうでした?
そして、赤帽やめてどうでした?
と聞かれます。
今では懐かしい思い出となっている赤帽
脱サラ計画している人の参考になれば幸いです。
ただし、1997年当時の昔のことですので、今とは違うであろう事も考えて読んでくださいね。
(1)赤帽なら所属欲求を満たせる
組織に所属することに慣れていた
私は、現在の軽運送業の世界に飛び込む以前は、別記事にも書いた通り東京の沖電気工業株式会社で正社員としてソフトウエア開発に従事しておりました。
そこから全くの畑違いの軽運送業に、しかも大企業の安定したサラリーマンと言う立場を捨てて個人事業に転身でした。
大企業の後ろ盾を一瞬にして失う恐怖を抱いて当然の状態でした。
脱サラ時の恐怖は大きく三種類
1、組織から抜ける不安
2、安定収入を失う恐怖
3、エンジニアから運転手に畑違い転職の不安
今回は、
1「組織から抜ける不安」についてお話しします。
1、組織を抜ける不安とは
全く当然の事を書きますが(笑)
寄らば大樹の陰ですよね?
一流企業と言う安定した立派な組織に長年所属していると、「寄らば大樹の陰」と言う考え方が染み付いてます。大企業の社員で無くても、常識的にそう考えてますよね?
その慣れ親しんだ大樹の庇護から抜け出して、一匹狼になる不安。
所属組織から切り離される、この恐怖は、実は生まれて初めて経験する大きな不安でした。
- 学生時代は学校や部活に所属
- 社会人になってからは大企業の所属
学生時代は学生証と言う身分証明書が有りました。
会社員時代には、社員証と言う身分証明書が有りました。
つまり、私は、過去の人生では、常に組織に所属しており、自分が従うべき目上の人達がいて、そこに居場所、守られる場所を確保されてました。
勿論、学生には守るべき校則があるし、サラリーマンにも就業規則があり、拘束されますが、それさえ守れば安全な世界にいました。
個人事業主になると上に書いた全てを失う
独立した個人事業主になると言う事は、自分が所属する場所が無くなってしまう恐怖。
誰も守ってくれない不安。
身分証明書としては、運転免許証しか無いので、学生証や社員証と異なり、自分の身分や能力、ステータスの証明書では無くなります。名刺は作りますので、それを首から下げる社員証入れに入れたりしますが、名刺は今の時代は誰でも簡単に作れるので身分証とはなりません。
客観的に他人が認めるレベルの所属組織が無い事は、とても不便で、不安な立場になります。
所属しない立場は、誰かの言う事を聞けば良い、真面目に従っていたら終身雇用されると言う人任せは通用しない世界です。(極論なのでサラリーマンがそんな甘くない事は理解してますので、サラリーマンの方がご覧の時は、自営業の不安を分かりやすく説明する目的としてだけご理解ください)
これを自由とも呼ぶ
自分で全て決める恐怖。
と感じるか?
ここが自営業や会社を起こせるか否かのメンタルの分かれ道なのかも知れないですね。
両親、親戚、友人、全てが反対するの大企業から個人事業主への転身でした。
その反対を押し切って進むと言うことは、失敗した場合にも、「ほら言った通りだろ!」と言われる訳で、身内にも助けてと言えない背水の陣です。
背水の陣、そこへ追い込まれた不安がプラスされます。
そして世間体と言うプレッシャーも加算です。
失敗すれば恥ずかしいです。
お金が無くなれば恥ずかしいです。
こんな事から自営業になる事に不安になる気持ちは、実際にやらずとも想像するのは簡単だと思います。
サラリーマンが、いきなり一匹狼はハードルが高い
そこで、私が考えたのは、
とりあえず、どこかの軽貨物組織に入ろう!
でした。
そもそも軽貨物の知識経験がゼロだから、とりあえず、仕事を教えてくれる組織が必要でした。自分で調べろと言われそうですが、大きな会社の仕事と違うので、マニュアルとか参考資料とかある訳もない。
体験するしか有りません。
そんな中で、軽貨物組織の中では、当時(1997年)もっとも大規模で全国的に名前が知られていて、知名度の点だけで言えば、赤帽は、沖電気工業株式会社並みでした(笑)、総人口も当時の沖社員数と赤帽組合員数は似てたと記憶してます。
大企業から一気に一匹狼になる勇気のなかった私には、全国区であった赤帽組合は寄らば大樹の陰的な組織に見えました。
赤帽仙台中央センターに所属
そんな経緯で、私は沖電気退職の直後は、赤帽仙台中央センターに所属する赤帽組合員として個人事業主になりました。
(既に独立したももちゃん便なので今現在は赤帽組合の所属ではありません)
所属したら実際どうだった?
寄らば大樹の陰として、心の平安は一応は訪れました。(一応と言うのは細かくはややこしいので今は割愛して続けます。)
1997当時の赤帽仙台中央センターは、高齢者を大切にする恒例行事もあって、長年働いて高齢になった赤帽さんたちが赤帽組合所有のマイクロバス(今は無い?)で、年一回の慰安旅行があったりして、ほのぼのとした世界でした。
効率重視の企業戦士として東京で戦って来た私には、まるで別世界で、こんな生き方が許される世界もあるんだなあと感動しました。
その頃、正にバブルも弾けたのに生ぬるいと言えばそうでしたが、とても暖かい組織として私は好印象を受けました。
そして赤帽と言えば知名度が抜群で、軽トラックの人は全員が「赤帽さん」と人から呼ばれるほど、軽運送業者の代名詞として赤帽と言う名前は定着してましたので、寄らば大樹の陰作戦はまんまと成功しました。
所属組織としての赤帽組合は、悪くなく感じました。
知名度、組合員数の規模、フランチャイズによる教育色々満足でした。
ただ、私の誤算としては、
赤帽が人数でも、知名度でも沖電気工業と対等だったはずが、銀行やホテル、時々会う知人から受ける印象としては、沖電気社員とは雲泥の差でした。
せっかくの独立経営なので、積極的に異業種交流の場にも参加しますが、私が名刺交換で赤帽の名刺を差し出すと途端に相手の態度が急変して、私に対する興味を失ってしまう。
久しぶりに会う同級生は、気の毒がったり、大変だろうと心配してくれたりする。
知名度は沖電気同等でも、私が赤帽だと知った瞬間の相手の反応は、私が沖電気の名刺を出すときとは全く別でした。
所属の安心感はある
同級生や異業種交流の人の赤帽への対応は、ともかくとして、それでも規模のある組織に所属することで、多くの先輩や職員さんとの付き合いが生じて、精神的に救われたのは間違いありません。
お互いに個人事業同士だから、ビジネス、お金の面では頼れる関係では無いのですが、同じ組織の仲間としての連帯感はありましたから。
だから、これから脱サラして軽運送にと思う場合には、会社という組織を失う不安を多少和らげるには赤帽組合は悪いくない選択肢だと思われます。
ただ、私は1997年当時の赤帽しか知らないので、今どうなのか?そこはご自身で赤帽加入説明会などでご確認くださいね。