この商売で良かったこと

それは沢山ありますので、シリーズ化しようかな?と思って題名に(1)と付けてみました。

その第一回目はパートナーシップについて。

青葉城跡
青葉城跡

私が、この仕事を選んで良かったと思う筆頭は、妻との関係が大きく変わった事です。
サラリーマン時代の私は、自分がお金を稼いでいると言う観点から家庭内で自分中心でした。

赤帽ももちゃん便を開業して、現在の株式会社ももちゃん便となる過程で、妻と2人で二人三脚で歩んで来ました。

ここからは、私一人がお金を稼ぐと言う体制では無くなり、2人でお金を稼ぐ時代に突入です。

もっと正直に言えば、この商売は妻のお陰でやって来れた。と言うのが本当です。

そんな訳ですから、妻に頭が上がらないのです

それなのに、私は今でも時々ですが昔の悪い癖が出て妻に対して威張ってしまう事もあります(笑)。

今思えば、サラリーマン時代から私が一人で稼いでいた訳ではなく、妻が疲れた私を守ってくれていたからだとよく分かります。

サラリーマン時代の私は、お金を稼ぐ事だけが価値ある人間活動だと思っていました。
お金を生まない活動は全部無駄、余暇、遊びだと思っておりました。
その中には大変バカだったのですが、主婦業も含まれておりました。(今はそんなことは微塵も思っておりませんので主婦の皆様お目こぼしください)

だから当時の私は給料を家に運ぶ自分の立場に思い上がってましたが、本当は妻の専業主婦としての役割も子供達の癒しも、全てが関係して私の会社員生活も回っていました。

そんな当たり前の事ですが、見えなくなっていた企業戦士のままで無かった人生で良かった。

脱サラする時は、私が身体を壊して予想外の脱サラなので、勿論、不幸な進路変更にしか思いませんでしたが、今は完治もして、あの時の病に感謝しか有りません。

あの時、サラリーマンを辞めて商売を初めて無かったら、あるいは自営業だとしても、2人で常に共に働くタイプの仕事では無かったなら、全く違った夫婦関係で50代を迎えていると思います。

私が自営業者の赤帽になっても、妻がパートに出ていたらダメでした。

軽運送の仕事で、たまたま、宅配便に私は適性が無くて妻も参加して、そこから2人の二人三脚でのビジネスのスタートでした。宅配便に適性がなかった事も幸いでした(笑)。

この商売、軽貨物を選んで本当に良かった。

心の底から思っています。おそらく妻もそうだと思います。

専業主婦として嫁いできた妻には、当初は約束違反の脱サラ。

しかも運送で仕事を手伝わせる事では苦労をかけました。

でも、仕事ばかりの企業戦士気取りの私のままだったよりは、よほどマシな夫婦になれた事は間違い無いので。

赤帽時代にテレビ取材中に撮影された写真
赤帽時代にテレビ取材中に撮影された写真