視野の狭い世界から飛び出す

大年寺山方向

偏った人生前半

大学生活、電気工学科は授業数も多く、朝から夕方まで時間割が埋まっており、文系に進んだ知人のような遊ぶ時間も無いまま、社会を広く知る前に社会人になりました。

サラリーマンになるも担当は回路設計、ソフトウエア設計など技術畑なので、話す相手も技術屋ばかりで、専門用語は豊富になるけど、狭いその世界でしか使えない知識ですし、雑談ボキャブラリーも偏ってしまいました。

軽運送で180度変わる

軽運送の世界に入ると一匹狼の世界です。
雑談は、その内容自体も違えばボキャブラリーも違う。
使う言葉も同じ日本語だけど全然違いました。

開業当時の私は堅苦しい言葉、熟語が多かったらしく、浮いていたと妻から聞いてます。
日常会話で必要なボキャブラリーに乏しく、赤帽仲間の雑談の輪に飛び込むと浮いてしまう雰囲気。
私からしても日本語としては理解しているけど、なんと言うか、意味が頭の中に届かない部分が半分くらいありました。
そこを何とかして通じているフリが居心地が悪いのでした。(←赤帽業界に入ったばかりの頃だけで後に大丈夫になった)

そんな私の苦労と対照的に、妻は、雑談会話の意味が理解できるので、その場を離れて赤帽車に戻って二人になってから、「さっき会話の概要はどうだったの?」と解説してもらっておりました。

そういえば、同じ時期の経験談として、妻は松島町(日本三景松島)の出身なので、法事で妻の親戚が沢山集まると、私はそこでも会話にならない疎外感を感じておりました。

数年後、運送屋らしくなったと言われるようになる

赤帽になって数年が経過した頃に、会社経営をしている知り合いから「お前もやっと運送屋の顔になって来たな」と言われるようになりました。
同業仲間との会話も通じるようになり、松島で法事があっても叔父との会話が楽しく弾むようになってました。

仕事する場所も変わる

赤帽になってから緊急配送で入る場所は様々で、業種も、雰囲気も、人柄も全部、毎回、違います。
私がずっとサラリーマン(技術屋)だったら、狭い一つの世界しか経験しなかったはずですが、軽運送業になってからは毎日が新しい世界に飛び込む繰り返しをしてました。

これは位置関係としての事だけではなく、業種としても食品工場、精密機械工場、店舗、学校、官公庁など。
事業規模、雰囲気としても大企業、中小企業、夜の街、市場、大金持ちの住宅街、普通に生きている人の住宅街など。様々な場所に行きます。

テレビコマーシャルで良く聞く会社の中に納品だと、「へえー、あのコマーシャルの会社はこんな感じかあ。」とか、ミーハー気分で社会勉強させていただいているみたいでした。

いろんな職場に接するチャンスがあって、全く飽きない仕事です。

そして、関わらせて頂く人の雰囲気も様々で、世界が広がった気がします。

ですが、妻から言わせたら、まだまだ世間知らずらしいです。