写真を整理していたのですが、昔の写真で京都の老舗 下鴨茶寮さんが出てきました。
コロナ禍の時代、もしかしたら2度と行けないかも知れないなあと思ったら、懐かしい写真からブログにしておきたいと感じました。

京都の老舗料亭である下鴨茶寮に赤帽車で行く人

下鴨茶寮さんは格式高い感じの有名な老舗料亭です。
当時私には場違いだったのですが、私の兄のような存在であった方とご一緒させて頂きました。

駆け出しの赤帽だった時代の頃、とても自腹では下鴨茶寮に行くなんて勇気がなかったのですが、本当に贅沢させて頂きました。

バーン!と玄関前に駐車した赤帽車

ホテルでは赤帽車を入り口付近の良い場所に止めよう物なら「だめだめ、この車はあっちに!」と、とんでも無い遠くの駐車場に案内されてしまうことが何度かありました。

そんなホテル(車種差別、業種差別)なら泊まりたくないと思いつつも、幌高な赤帽車を敷地内駐車場に置いて泊まれるホテルをあらためて探し直すのも苦労なので嫌な気持ちを抑えて泊まったものでした。

しかし、さすが京都を代表する老舗料亭の下鴨茶寮さん、この場所に目立つ軽トラ赤帽車を止めてもお店の格調が下がるとか気にする様子もなく、大切なお客様として丁寧な対応でした。

念の為、ここに停めて良いですか?と確認しましたが、勿論大丈夫ですとの事でした。

今になって思えば、下鴨茶寮さんほどのレベルになれば、玄関の目立つ場所に軽トラック程度で、その格式高さに影響受ける柔な老舗ブランドでは無いですね。

下鴨茶寮 赤帽
赤帽車で下鴨茶寮

赤帽車に大きなアンテナが左右に装備されてます。
これは違法CB無線ではありません。
私はアマチュア無線技士1級の正式なアマチュア無線家で、この赤帽車の設備で九州からも仙台の赤帽仲間ともQSO(交信)したり楽しんでました。

下鴨茶寮に入ってすぐパチリ

少しの待ち時間があり、お茶を頂きました。

夫婦で記念写真

この頃は長距離運転が多かったので、この日も相当疲れてたと記憶してますが、紅葉見事な清水寺も行きその足で下鴨茶寮さんに到着しました。

美しい料理1

目に入る全てが完璧に美しいですね!

美しい料理2

美しい料理3

この美しいエビですが、私はエビアレルギーなので食べられず、その分、妻が美味しく頂きました。

美しい料理4

エビアレルギーな私もカニは大好物です。

生で食せるグレードのカニを目の前で焼いて頂きました。

美しい料理5

この日の京都は紅葉の最盛期。器の上にも紅葉が来た。

美しい料理6

この日の京都は紅葉の最盛期。器のふたも紅葉が来た。

美しい料理7

食材の中にも紅葉が来た。

大満足の二人

長距離チャーターの疲れも吹っ飛ぶ美味しさでした。

名残惜しい玄関

長距離の疲れが吹っ飛ぶ食事でした。名残惜しい玄関の雰囲気。

仲居さんと

癒し系の仲居さんとお別れの記念撮影。

昔の思い出写真集でした

この記事は赤帽開業して数年目くらいだと思うので、おそらく20年前くらいでしょうか?

デジカメが普及し始めた頃に、当時は本格派だったFUJIFILMさんのFinePix 4900Zで撮影したような記憶ですが、私の画像管理が悪くて、サムネイル的な画質の写真ばかりが残ってました。でもWebで見るには許容範囲の画質が残っていて良かったです。

下鴨茶寮と錦は双璧をなす京都の料亭

下鴨茶寮さん、最高でした。そして京都では錦さんも凄い。
どちらもチャーターで京都に行っても、そう簡単に行ける場所ではないのですが、機会があったら運賃比での赤字を気にせず、時には人生を楽しみたいものですね。

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